2009-07-02

『骨』展と養老孟司さん



21_21DESIGN SIGHTへ 『骨』展を見に行った。

それは、18:00~19:30の 養老孟司さん、この展覧会をディレクションした山中俊治さんの無料対談を聴きたいと思ったからです。入館料1,000円。

この対談概要は”社会の骨(構造)と身体についてのトーク”。
養老さんはどんな事をお話しになるのか、また養老さんがどんな感じの雰囲気をまとった方なのか、私はご本人を感じてみたかったのです。




    ➚自分のお水セルフサービス。

















             養老さんと山中さん。









養老さんの雰囲気はこれだけでは到底伝えられない。
何より、養老さんが私の隣30cmばかりをゆっくり通り過ぎて行かれたときのあの穏やかさ、空気感、エネルギーが私の養老さんそのものだから。
本物(実物)と対面することがすべてなんだと思うよ。
写真は断片。

養老さんは澄んだ森の空気のような、無色透明の気配を感じさせない落ち着いた方だった。
すてきだと思った。
全然見せびらかす様な、人を興奮させるような、注目をさせるようなオーラがない。(これらの言葉は賞賛の言葉として私は使っています。)とても自然で、人の邪魔をせず、それでいて養老さんご自身はとても明るく温かいエネルギーで満ちていらっしゃる。
わたしは養老さんのようになりたいです。
そのような養老さんのお話は一定のテンポで流れ、気持のよい穏やかな川のせせらぎを聞いているかの様だった。
養老さんは”ゾウムシ”が好き。
養老さんは”人間にデザインされたもの”が好きじゃない。
養老さんは相手の話をじっと聞く。
何事にもおどおどそわそわしたりしない。
動きがとても丁寧。
だけどたまに相手のペットボトルを掴もうと手をかすめたり、相手のペットボトルのふたを触ったりしていらした。きっと緊張緩和の無意識の動作なのだと思う。
そんな私たちと同じところも好きだった。







展示では、2つとても気に入ったのがあった!

一つは”「Phasma」ファスマ”。小型ロボット。どこかの言葉で”魂”という意味らしい。
期待する動きを持たせる為に必要な部品、機能のみから出来ているのですが、動きが命ある動物と見違えるばかり。とても愛らしく、かわいい。
「人は形状優先(デザイン優先)で人間型・動物型ロボットを作る。自分たちと似ている方が愛情を持つだろうという推測が元になっている。がしかし、人間・動物に近い形でそのもののように人工的に作るのは無理で、動きも再現できない。しかし、求める動き・機能を優先させた結果、生き物に近い動きは再現できる。そうして完成したロボット(=ファスマ)に、わたし達は愛情を抱く。それは、人は形にだけではなく、動きそのものに、そのものの魂を感じるからです。」 製作者談。(takram design engineering)

二つ目は機械式時計。すべてバラして展示してある。
5つほどある時計の中で一番好きだった時計の部品は100パーツ以上のすごく精密な部品の集合からできていた。わたしは気に入ったので数えてみた。

その精密なパーツ達の面白い、有機的な形!!
なぜこの形の必要があるのか、ないのか。対談でも言及されていたが、もはや今の技術者にもその形である理由(必要性)を知っている者はいないだろうとの事。長い年月を経て、一番洗練された機能をもった形なのである。わたし達生き物の骨と同じですね。

「ああゆう展示の時は両面テープなど粘着質な板の上にのせて並べると固定されるからいいんですよ。」
養老さん談。よい展示方法まで淡々と教えてくださる。(笑)。

この展示会でいいたかったこと。

”形を描こうとしてはいけない。構造を描くことによって自然に形が生まれる。”山中さんが冊子の中でおっしゃっていた。 この言葉はまったくパターンにも言える事だと思う。
音楽家の書いた手描きの楽譜。その美しさを見てこれがどのような音楽が分かる。茂木さんの本にあった。
これらすべて共通していると感じる。

なんとなくいい、と感じる、それが最初は試行錯誤の末、生み出されたデザインであったものなのに、だんだん普遍化され、”いつもの”と馴染んでいく。
馴染んでいるけどすばらしいもの。

デザインについて色々と考えた。
今すぐにはこれらの事をまとめられそうもない。

1 件のコメント:

  1. あらぁ~。
    今、読み返してみたけど、案外まとまってんじゃん!!
    エライエライ(笑)。

    返信削除