今日は午前中に品川ハローワークへ。
最後の訪問になった。
最後の訪問にした。
今日はこれについて自分で気持ちの整理をしておく。
私は10月から3カ月の試用期間を経て、契約社員として働く。
今回職安に行って活動報告したので、8月分の手当てまで受給できる。
国からの受給期間は9月分で終了。あと1ヶ月分を残して私はさよならをした。
わたしは早まったかな? と思った。
「頂ける分、貰っておけ」の法則からは外れた。
短期でアルバイトを探そうとは仕事先が決まってからは考えても見なかったし。
働いたとしても長くて2か月。
これは雇い主にとってはどのような期間なんだろう。
それは私が考える必要はなかったか。
私は今落ち着いて考えてみると、短期でも何か経験ができるのであればやると言って良かったのかもしれない。
正直に申すが、私はこの期間をめいっぱい遊んで過ごしたいなどと思っていた。
今でも思っているけど。
無理やり履歴書を作成して就活をやった形跡を提出して国から受給金をもらう事が不届きである気がした。
でも、まぁいいや。
アルバイトしたくなったらする。
お世話になった前川さんもちょこちょこアルバイトを頼んでくださるし、それにもしっかり手際良く応えたいと思っている。
お金は大切。
お金に余裕がないと精神的に貧困になりがち。
だから、もしかして自らこの決断によってお金を遠ざけたとしたら、神様に謝罪したい。
ごめんなさい。
お金大好きです!!
お金が無いと生きて行けません!!
だから、この判断が間違っていたとしたらどうぞ、寛大なお気持でお許しください。
そして、寛大に受け止めてください。
わたし、正直に生きていきます。
受給金はたいへんありがたい。
これがなかったら、この3か月、安心して楽しい生活を送れなかったと思う。
自分で生んだお金で生活できないほど稼げない環境に生きているのであれば支給してもらえる事は当然であって欲しいと願う。仮にも先進国なんだし。
受給を受ける人も堂々と生きればいいと思う。
人間は生まれて育った環境、特に親の教育と愛情でこの子の将来への土台が決まると思う。
親はその子を見て、生きてけるように育てる義務がある。教育する責任がある。
教育と愛情60%、あとの40%はその子の特質かなぁと思う。
その40%で大人になってどれだけ発展していけるかが委ねられていると思う。
全ては自分・個人の責任で収まる話ではないと思う。
そう思うからこそ、堂々と人間として生きればいいのだ。
わたしもそうした。
辞退した1ヶ月分の受給金が国に負担を掛ける事無く、後に続く受給者たちに行き渡ればいいと思う。
職安はいつも満員。椅子に座れない。人で溢れている。
職員さんたちはいつも大変忙しく働いておられる。
その人たちにとって、私の分の手間がなくなったのは単純にいいことだと思える。
時間も大切。
忘れてはならぬが、親になるんだったらしっかり責任もって子どもを教育して、愛情をそそぎ、働けるようになるまで見届けよ。
それが、親の責任であると思う。
私の両親は責任をしっかり果たしている。
少し頑な過ぎるかな…。
返信削除まだ青い証拠だね!
もうちょっと待って下さいね。
少しずつ丸くなってくハズだから…。